日本共産党
川崎市議会議員(中原区)

市古次郎

ブログ
2019年8月13日

最後の被爆地

 今から74年前の8月9日、歴史上最後の原爆投下が長崎の街に。当初アメリカ軍は、原爆投下候補地を京都の盆地ど真ん中、死者を50万人と想定していましたが、それでは占領後日本人の反発が強くなりすぎるのではないか、政治的優位性を保つ為に候補地を小倉に変更。しかし連日の空襲で小倉周辺は火災の煙が立ちこめており、3回投下を試み断念、原爆投下候補地を長崎に変更。8月9日午前11時2分、B29から投下されたプルトニウム原爆は長崎市上空500mで爆発。その年の末までに約7万人が命を落とし、その後も多くの方々が放射線被曝に苦しめられています。


 原爆が投下された広島と長崎では毎年原水爆禁止世界大会が行なわれています。「核兵器のない平和で公正な世界のために」被爆者の方を中心に日本中、世界中の人々が一同に広島、長崎に集まり3日間におよぶ大会が開催。今年参加の海外政府機関はオーストリア、キューバ駐日大使、メキシコ駐日大使、ベネズエラ駐日大使等、22カ国87名の方々が参加、「ふたたび被爆者をつくるな」の声は世界を動かし、2017年7月7日、歴史上初めて核兵器を法的に禁止する条約を作りだしました。この「核兵器禁止条約」は50カ国が批准すれば90日後に発効が定められており、批准した国は今年ボリビアが増え現在25カ国。半分まで到達していますが、日本は未だに批准していません。

 以下、核兵器禁止条約全文です。

http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=73528

 というわけで、行って参りました初長崎へ。川崎市から行かれる方の団長として(市会議員が毎年やる役回りとのこと)。

 やはり胸に突き刺さるのは、キノコ雲の下で起きたこと、その下で、実際に被爆した、原爆を体験された方々のお話。

 2歳の時に広島で被爆した方のお話では、直撃に近い形で被爆したお兄さんが

「今度また、僕を産んで下さい。そしたら次は僕が家族を守るから」

とお母さんに言い残して息を引き取ったそうです。

 4歳の時に長崎で被爆された方は、お父さんは片目を失明し大好きだった仕事ができなくなり、お姉さんは度重なる癌に苦しめられ続け44歳で亡くなったとのこと。

 人間らしく生きることも、人間らしく死ぬこともさせてくれない核兵器を絶対に許さないと。

 また出席された田上長崎市長は挨拶の中で

「やがて被爆者のいない時代がやってきます。今後、核兵器の恐ろしさを伝えていけるか、それは広島、長崎だけの話ではなく、過去の話ではなく、子ども達の為、未来の話であるという認識の共有が大切です。原点である市民の力を結集しみんなで被爆者国際署名を集めよう」

 と続けました。被爆者国際署名とは被爆者の方が始めた署名活動です。

 現在世界の核兵器の数は14485発。核の傘、抑止力等の安全保障論、きれい事ばかり言うな。という声も聞こえてきます。一方でアメリカの科学誌が1947年に作成した「終末時計」なるモノは地球最後までの時間が残り2分を指しています。

https://www.gizmodo.jp/2018/01/doomsday-clock2018-2min.html

 100歩譲って核抑止論も核廃絶論も同じ平和への道だとします。しかしサイバーテロの脅威も高まっている昨今、このまま軍拡を続け威嚇し続けることと、核を廃絶する世界に舵をきること、どちらが現実的か、やはり後者ではないでしょうか。「もう1回僕を産んで下さい」と子どもに言わせる社会、リスクは大人が排除していくべきです。

 人間が作ったものだからこそ、人間が止められる。

長崎平和公園
被爆中心地

 そう信じて、私もこの活動に賛同し、署名活動、平和行政活動に取り組んでまいります。長崎を地球上最後の被爆地にするために。

高校性達の姿も。
ゴローちゃんの姿も。

 なにはともあれ、大変有意義な3日間でありました。

 皿うどんも美味かったし。

 また、参加させていただきます。

 あ、明日から熱海で日本共産党川崎市議団予算要望書の作成合宿に行って参ります(昨年初めて参加して、旅館の夕食後も要望書作成が続き、洗礼を受けたやつ)。

 それと最後に、市政報レポート3号、完成いたしました。


 最後までお読み頂きありがとうございまいた。


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